化学専攻 依光英樹教授の研究をご紹介します。
有機化学に革命をもたらす斬新な反応を探求している依光教授に、先生が大好きな有機化学反応の研究について語っていただきました。
パリのキュリー博物館にて、キュリー夫人(元研究所長)の机に特別に座らせてもらいました。
原点
育ったところは狭い高知平野と険しい四国山地の境目あたり。まあまあ田舎でした。 周りは田んぼ、畑、ビニルハウスばかりで、山も川も海も自転車ですぐでした。 自然科学が好きなのは、そんなところに原点があるんじゃないかな。
体を動かすのが好きで、小学校ではソフトボール、中学校ではハンドボール、高校では軟式テニスに打ち込みました。 中学高校時代は、自転車で片道20 km、往復40 kmを土曜も日曜も台風の日も、毎日通っていました。父親には、競輪選手になるのか、と少し心配されました(笑)。
文系志望から化学の道へ
化学分野に進もうと思ったのは、高校でいい化学の先生に出会ったからです。 もともとは文系志望でした。中学の英語の先生がすてきで、英語も好きだったので、なんとなく外交官になりたいなあ、と思っていました。
そんな中、高校で出会ったその化学の先生は某化学メーカーを退職してやってきた新任で、生徒に化学を好きになってほしいというフレッシュな熱意がひしひしと伝わってきました。 職員室にもよく遊びに行くようになり、なんとなく化学はいいなと思うようになりました。 京都大学工学部工業化学科に入学したのも、その先生が関西出身だったことが影響しているのかもしれません。
京大での出会い
研究室旅行で、大嶌幸一郎先生(右)と大学院修士課程1回生の依光英樹先生(左)。
田舎からせっかく京大に来たので大好きな化学はしっかり勉強しようとは思いましたが、将来のことは何も決めていない普通の大学生でした。 けれども、ここでも人生の転機となる出会いが待っていました。
3回生後期の大嶌幸一郎先生の有機化学の授業がおもしろくて。一見エレガントですが、「こてこて」の関西の方でした。テンポも合う気がして、直感で大嶌先生の研究室に行こうと決めました。
実際、研究室の雰囲気も良く、元々好きだった有機化学にのめり込んでいきました。 大嶌先生や先輩と一緒に研究を進めていく中で、自然と研究者っていいなと。 あんまり深く考えず、自分を高めてくれる人と一緒にいたい、それだけでこれまでの人生を歩んできたような気がします。
有機化学研究のだいごみ
有機化学は、有機化合物、すなわち炭素を中心とする化合物に関する学問です。 有機化学のカバーする領域はめちゃくちゃ広い。石油からつくられる身のまわりの化成品は全部有機化合物。生体分子である炭水化物、アミノ酸、核酸、タンパク質、脂質なども有機化合物。医農薬などの生物活性分子やフラーレン、グラフェン、有機半導体といった光・電子機能性材料も有機化合物。そうした有機化合物の性質や反応を理解し、機能を引き出すのが有機化学です。
有機化学には二本の柱があります。 ひとつは、有機化合物そのもの。生体機能を制御する有機化合物、有機エレクトロニクスの発展を支える有機化合物、謎の性質を持つ変な構造の有機化合物など。有機化合物の性質を明らかにし、さらに面白い有機化合物やその機能に思いを馳せます。
もうひとつは、そういった有機化合物をどうやってつくるか、という化学反応や合成手法の研究です。こちらが僕の主な研究テーマです。
身のまわりの人工的な有機物はほとんど化石燃料由来です。 まず原油を蒸留してナフサを取り出し、ここから数多くの化学反応を行っていくことで、実際に我々が手にする製品になります。化学反応は人類社会を支えている現代の錬金術、魔法です。 だから僕は、新しい化学反応を見つけたくて夢中になっています。
なぜ新しい化学反応を見つけるのか
*1
ある化学反応を加速する物質で、それ自身は反応の前後で変化しないもの。 「化学反応を加速」と一言で言っても、ありふれた化学反応の速度を2倍にする触媒もあれば、ほとんど進まないような非常に遅い化学反応の速度を驚異的に加速する触媒もある。 後者の触媒は新しい化学反応の発見に直結する。例えば、皆さんの身近にあるPET(ポリエチレンテレフタラート:ペットボトルのペット)だと、ナフサから5つ程度の化学反応の工程を経て作られます。 ちょっと凝った医薬品だと、数百もの化学反応の工程が必要になります。だから薬は高い。
それがもし、触媒1という「魔法の粉」をパラパラっと石油にかけるだけで、いきなりドーンと薬ができたとなれば、間違いなくすごいです。
現実には、さすがにそれは無理です。しかし、数百ある化学反応の工程を50ぐらいに減らすのは、新しい化学反応を見つけることによって達成できます。 そうすると、薬も安くなり、発展途上国の人たちにも行き渡るようになります。
*2
パラジウムという金属を触媒にして、炭素と炭素をつなぐ手法の一つ。 2010年のノーベル化学賞を鈴木章先生、根岸英一先生、R. F. Heck先生が受賞。*3
「亀の甲」として知られる、6個の炭素原子からなる環状構造。一つ具体的な例として、有名なクロスカップリング反応2を挙げます。 クロスカップリング反応を使うと、ベンゼン環3同士を繋いでいくことが簡単にできます。 これによって、医農薬はもちろん、剛直な構造をもつ液晶材料や電子の授受を行える有機エレクトロニクス材料などを次々と新たに生み出せるようになりました。
新しい反応が新しい物質を生み出し、世界を変えたのです。 そんなインパクトをもたらす新しい化学反応を見つけようと、ずっと研究を続けています。
新しい化学反応を見つける、というのは、本来とても理学的で純粋な科学です。 けれども、そんな純粋な有機化学の研究が、関連産業の発展に直結し、環境、エネルギー、健康、貧困といった社会問題の解決に貢献します。これも新反応開発の醍醐味でもあります。
転機
4回生の時にはマンガンという遷移金属元素を触媒に使った化学反応を卒業研究のテーマにいただいたんですけど、これが全くうまくいかなかった。 当時大嶌研究室ではノってるテーマだったので、「僕、センスないんかな。。。」と不安にはなりましたね(笑)。
大学院修士課程に進学してからも、あまり研究がうまくいかなくて。 けれど研究室は楽しかったので、博士課程には進学しようと思っていました。
そんなころに大嶌先生から「依光、テーマ、ガラッと変えよう」と提案されました。 「何するんですか?」と尋ねたら、「水の中でラジカル反応」と言われました。
水中での反応?
「先生は何を訳のわからんことを言ってるんだろう」
多くの有機化合物は要するに油ですから、水に溶けません。ですから、水の中で有機化学反応を行うのは非常識です。当時、「環境にやさしい」というのが流行った時代だったので、「環境に優しい」=「水」という極めて単純な(けれどきっと深い)発想が大嶌先生にあったようです。 ただ、流行っていたと言ってもあまりに無茶振りです。
*4
有機化学の反応は、陽性の原子と陰性の原子をつなげるイオン反応が多い。クロスカップリング反応もその一例である。一方で、非常に反応性の高いラジカル(炭素原子にある4本の結合用の手のうち1本が結合に使われていない化学種)を使う反応もあるが、その反応性の高さゆえ制御が難しい。大嶌先生からは「イオン反応じゃなくラジカル反応4をやろう」とは言われたものの、全てが手探りでした。大嶌研究室のホットテーマだったマンガン触媒のイオン反応と全然違う研究だったので、「これは自分で勉強しなあかんな」と覚悟を決めました。
研究室にあったラジカル反応に関する洋書を読破し、自分のお小遣いで別の洋書を買ったり、総説をいくつも読んだり。研究室の中で誰よりもラジカル反応を理解している、もっと言えば、世界で一番知っている(という勘違い)と思えるぐらい勉強しました。
ある日、とあるラジカル反応がうまくいってちょっと喜んでいたら、実はその見つけたラジカル反応は、ある著名な研究者が「うまくいかない」と言っていた反応だったことに気づきました。つまり、その反応は、通常の有機溶媒の中ではダメで、水の中でのみうまくいく反応だったのです。
「これすごいな。おもしろい」
ますますラジカル反応にのめりこみ、学位は『水を溶媒とするラジカル反応』でいただきました。
研究のいま
「えっ⁉なんでそんな化学反応がおこるの?」みたいな斬新な化学反応を世の中に提示し続けるのが、今の研究の方向性です。
一例として、芳香環メタモルフォシス(metamorphosis=生物学用語で変態)を挙げます。
*5
芳香環をもつ有機化合物を芳香族化合物と呼び、多くの場合よい香りがする。バニラの香り成分であるバニリンはその好例。ただ、香りと芳香族化合物という呼び名の間に科学的関連はない。*6
有機化合物では、炭素原子同士がある形を持ってつながっていることから、有機化合物の大まかな構造を「骨格」と呼ぶ。「亀の甲」といわれるベンゼン環は、芳香族化合物5のコア構造としてとても重要です。 正六角形のベンゼン環以外にも、窒素や硫黄、酸素を含んだ環状構造もあり、これらを総称して芳香環と呼びます。芳香環はとても安定、頑丈で、芳香族化合物の構造と機能を規定する鍵となる骨格6です。
安定で頑丈な芳香環骨格は「背骨」のようなもので、常識的には芳香環骨格を壊そうとはしません。その常識を覆して、芳香環を壊して、別の芳香環や別の興味深い新骨格に作り変える研究が、僕にとっていま「熱い」研究です(図1、 図2)。
図1 置換型芳香環メタモルフォシス
芳香環内にしっかりと組み込まれた硫黄Sを、ベンゼン環や窒素NやリンPで置き換える。これら一連の化学反応は新たな有機エレクトロニクス材料の合成への展開が期待される。
図2 挿入型芳香環メタモルフォシス
六角形のベンゼン環と五角形のフラン環が重なった頑丈なベンゾフランに、ニッケルNiを触媒に使って、フラン環の酸素Oの隣にホウ素Bを割り込ませ、六角形が二つ重なったベンゾオキサボリンという骨格にする技を確立。この骨格は何に使えるかまだわからないが、生物活性や光特性といった面白い機能を発揮すると予想されている。
芳香族化合物の構造と機能を規定する「背骨を大胆に整形手術」するわけですから、化合物の性質がガラッと変わる。普通は作れない珍奇な芳香族化合物も作れるようになりました。 世界中の人たちが注目し、使ってもらえる化学反応に育ちつつあります。
もう一つ、重金属フリー(重金属を触媒に使わない)のクロスカップリング反応もお気に入りの研究です。
従来、芳香環同士をつなぐには、パラジウムなどの重金属を触媒に用いるクロスカップリング反応が重宝されてきました。この反応は素晴らしいのですが、高価で毒性のある重金属を使う必要があるという弱点があります。また、少し専門的になりますが、結合する場所を金属やハロゲンであらかじめ細工しておく必要もあり、手間がかかります。
そんななかで、硫黄Sを鍵元素として、脱水によって芳香環同士をつなぐ斬新な化学反応を開発しました。臭いのであまり研究者が使いたくない硫黄Sをうまく手玉にとったのが成功の鍵です(図3)。
図3 重金属を触媒に使わない新形式クロスカップリング反応
常識とは逆のこと、普通の人が嫌がりそうなこと、流行っていないことをあえて研究する。そうすると宝の山が見つかります。
*7
科学技術振興機構(JST)の支援により、科学技術イノベーションを生み出す革新的技術シーズを創出するためのチーム型基礎研究。先日、CREST7というJSTの戦略的創造研究推進事業に応募し採択されました。
「持続可能な社会の実現に資する新たな生産プロセス構築のための革新的反応技術の創出」という戦略目標のもと、電子注入制御により単純な不飽和有機化合物から一挙に高付加価値有機化合物を合成する新手法を創出します。 計画通りに研究が進めばいいなと思いながらも、想定を超える変な新発見に巡り合わないかな、と研究室一同で楽しみにしています。
講義と研究室の教育はどう違うか
卒業生がプレゼントしてくれた研究室の看板。
僕の人生において、3回生後期の有機化学の講義は最も重大なイベントだったと思います。 あの講義で研究室を決め、その選択がその後の人生を決めました。
だから、講義は教員として最も重要な仕事だと考えています。 特に学部生に対しては、僕はどういう先生で、有機化学に対してどういう思いで取り組んでいるのかを伝える大事な場です。逆に、学生さんには、科目や教員と相性が合う合わない、をしっかりと感じ取ってもらいたい。 繰り返しになるかもしれませんが、僕の人生はほとんど師匠で決まりました。
今僕が担当しているのは、主に2回生対象の有機化学IA/IBという有機化学の入門です。 たくさんの学生さんを相手にしゃべるので、できるだけ平易に、多くの人に理解してもらえるよう心がけています。星間分子から生命体まで、その基礎となる学問が有機化学ですから。
一方、研究室での教育は、講義における教育と全く質が違います。 音楽などを本格的に習っていた人を除くと、多くの人にとっては人生で初めて「この先生に習いたい」と思って研究室の門を叩くわけです。
希望した研究室では、一対一、もしくは数人のグループで少人数教育が行われます。 先生や先輩、後輩、同級生との大切な関係を育みながら、全人格をぶつけ合いながらの濃密な真の教育が始まっていきます。
恩師
恩師の大嶌先生は、あれこれと指示する先生では全くなかったんです。
例えば、大枠で水中でのラジカル反応を研究テーマとして提示されたあとは、実験化学者同士の立場で一緒になって考えてくれました。 偉い先生のはずなんですが、学生の目線まで下りてきてくれました。僕はたいがい生意気なことを言えました。しょうもない雑談から化学の話まで気楽に話していました。 そういう環境を作ってくれた大嶌先生には非常に感謝しています。
僕のポリシーとして、研究室の学生さんには、できるだけ一人一人バラバラのテーマを研究してもらっています。研究者としての自覚と責任をもってもらうためです。
どんどん失敗してほしい。それが自分の糧になります。失敗した時、わからない時には適切なタイミングで誰かに相談する。途中で行き詰まった時に、「先生、どうしましょう」と気軽に話し合える環境を作ることが僕自身の課題だし、学生さんにも質問上手、相談上手になってほしいです。
困ったらネットに頼るのではなく、生身の人間と話している方が、お互い高め合って思いがけずいいアイデアが出てくることが多いです。創造性が鍵を握る研究者にとっては、対話が大事だと考えています。これは研究だけでなく、人生でもそうかなと思いますが。
誰もが楽しめる有機化学という学問
誤解を恐れずに言えば、実験科学は研究者が優秀であれば良いというものでもないんです。
賢くて実験もうまい人はその人なりの素晴らしい結果が出る。けれども、おっちょこちょいで不器用だったりしても、失敗することは多いけれども、思いもよらないとんでもない発見に巡り合ったりするんです。
たとえば、白川英樹先生のご研究では、ある研究員が触媒の量を間違えて1000倍多く使ってしまったことが導電性ポリマーの発見につながりました。 島津製作所の田中耕一さんのご研究では、間違えて汚染された試料をもったいないと思って測ったらタンパク質の質量分析に成功しました。
構想した実験としては失敗ですけど、その時々の現象や事象に対して聴く耳を傾けて「ちょっと見てみようか」という気持ちが大事です。 実験科学では実験者の個性に応じた研究の展開が見つかるんです。
有機化学は実験科学の典型です。 実験をしていると、予想外の化学反応や現象に遭遇することが何度もあります。そういう意外性や発見が実験科学の醍醐味です。 思い通りの反応ではなく、違う反応を自然が返してくれます。
*7
Louis Pasteur, 1822-1895, フランスの化学者・細菌学者"(…dans les champs de l'observation) le hasard ne favorise que les esprits préparés" —(観察の分野では)幸運は心の準備ができている人に訪れる。
研究者が結構好きなフレーズに、パスツール7の「チャンスは心の準備ができている人に訪れる」(英訳:「Chance favors the prepared mind」)ということばがあります。 自分の化学のことをずっと気にかけ、フラスコの中の分子が何を語りかけているのかを聴き取る耳を備え、分子との対話を楽しむことが大きな発見につながってくると思いますね。
だれもが個性を活かせてクリエイターになれる、それが、有機化学の魅力です。
自然を聴く
理学研究科有機化学系ソフトボール大会打ち上げにて、研究室の学生たちと。
現代社会はデジタル化がどんどん進んでいますが、人はアナログじゃないとだめなんじゃないかなと。自然と遊び、顔を合わせて人と付き合う。人間は自然の法則の中で生きているので、それを学ぶのが一番大切です。 アナログを理解して、初めてデジタルを理解できるような気がしています。
子どもの頃、川の上流から葉っぱを流してひたすら追いかけたことがあります。 冷静に考えるとどう考えても無駄なことだけど、そうした自然への好奇心と遊びがセットになって、知らないうちに僕の科学的な素養が育てられ、いまサイエンスを教えるような立場にいるのかなと。
無駄なこと、失敗、大歓迎。そういう意味で、有機化学の実験には無駄ってことはないです。そこから自然科学が始まると思います。
(インタビュアー 藤井陽奈子)